大鵬からはじまる大横綱の系譜

日本の国技とも呼ばれる大相撲ですが、長い歴史の中でも最上位の横綱の地位にまで上り詰めた人物はわずかしかいません。
また、横綱になっても、短命に終わったり、スキャンダルに巻き込まれたりした者もおり、十分な実績を伴う大横綱と呼ぶことができるのは一部のみです。

相撲の取組

戦後について見ていくと、まず最初に国民的な人気を誇ったのが高度成長期時代に活躍した大鵬です。優勝回数は歴代2位の32回を数え、その人気の高さから当時の子供が熱狂したものを並べた【巨人・大鵬・卵焼き】というフレーズが生まれました!

大鵬の引退後に後を継ぐように横綱となったのが北の湖です。
その圧倒的な力量から、憎らしいほど強いと言われ、24回もの優勝を重ねています。引退後には日本相撲協会の理事長を務めて数々の改革を行い、経営面でも優れた手腕を見せました。北の湖の全盛期には、同じく実力派の横綱である輪島がおり、その存在がなければ優勝回数は大鵬を上回ったのではないかとも言われています。

北の湖の次に一世を風靡したのが、ウルフと呼ばれる精悍な外見で多くのファンを魅了した千代の富士です。昭和最後の大横綱というにふさわしく、31回の優勝を成し遂げました。

平成に入ると相撲界は若貴フィーバーに沸くことになりますが、その立役者の一人である貴乃花も22回の優勝を成し遂げた功労者です。
彼の後は外国人力士が勢力を伸ばすようになり、その中から横綱になったモンゴル出身の白鵬が40回を超える優勝を達成しています。